過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

切り替え下手

仕事をパキッと終わらせてプライベートの時間をしっかり過ごしたい。のだけど、切り替えが下手。

忙しかったりモチベーション低下してたり、気持ちを引きずりやすくて上手く切り替えることが出来ない事が多い気がする。

なんとなく仕事のことが頭から離れないというか。

すると目の前のことばかりに意識が囚われて、やろうと思ってたことが置き去りでそのうち気分が乗らなくなってくる。

この連鎖を断ち切りたいんだよなぁ。

 

中途半端、ってことなのかなぁ。

もっとシンプルに

今日馴染みの美容室で髪を切ったとき、担当のMさんとの談笑の中で、最近の気分転換の話になった。Mさんは友人と飲みに行くのが趣味だったがコロナでそうもいかなくなり、Youtubeを観ることも飽きたとのことで、昔好きだったアニメのフィギュアを手に入れて飾り、それをつまみに酒を飲む、ということをしているらしいから面白い。

選びに選んだフィギュアをお気に入りのショーケースに飾る、ということをするそうだ。

お気に入りのショーケース、というのがポイントで、ただ単に置くのでは飽きるので、凝ったショーケースに飾ると、どんなものでも価値あるものに見えるような、ショーケース。そこにどんなフィギュアを置くか、選びに選ぶのだという。

選びに選んだから、飽きないらしい。

Mさんはもともと断捨離が上手で、必要なものしか部屋に置かない主義。何かを買ったら何かを捨てる。本当に必要なものに絞っている。

本当に必要だから、飽きないのだ。

これに僕はついつい考えてしまう。

僕はというと、あれもこれも手を付けてしまう。その時やろう!とか、重要だ!とか思ってとりあえず手に入れたり始めたりするが、結局長くは続かない。

そこで思うのは、本当に大切なものに絞る重要さ、だ。

そう考えると、自分自身やその身の回りは、とても乱雑なのかもしれない。

そして、何が本当に大切なのか、を十分吟味しないまま手を付けてしまっていやしないだろうか。

ああ、そういう本も昔読んだことあるな、、と少し自己嫌悪。

 

とにかく、だ。もっとシンプルになっても良いんじゃないだろうか。

そこには勇気と覚悟が必要で、僕は言ったり来たりしているな、と。

焦る気持ち

現状に飽きているというか、新しい職場で新しいことを始めたい、そういう気持ちがなかなか消えない。

何か楽しいことないかなぁ、、と言っているようなものに近い。

そしたら自分で行動するしかないじゃんね。自分で何かを始めないと。

それで始めたこともあるのだけど、せっかちだからすぐ結果が欲しくなる。それまでの過程を一つ一つ進めないといけないといけず、時間もかかることではあるのだけど、なかなかこれは性格なのだろうか。

日頃過ごしていることで、学びや発見、成長を感じられることっていうのは常にあるわけじゃない。だから停滞しているように感じられ、焦りが生まれる。

1つでも2つでも、コツコツとやること。やるべきことやったほうが良い事ってのはあるのだけど、いつまでたっても前向きに取り組めないし、腰が重い。

足踏みしているそれを、いっそ放り投げてみる。

そこで気持ちが落ちるなら、いっそ考えないで他のことする。

他のことって?

 

うーん、このムズムズを解消するには、、、紙に書いてみるかぁ。

ご縁

新しい事を始めると、ご縁が増える。あるいは古いご縁が復活する。

それを大切にしていきたいと思う、そんな週だった。

 

勿論、思ったようには進まないこともあるけれど、焦らずゆっくり。

ちょっとせっかちな所があるので、そこは手綱を握る練習をしていく気持ちで。

一歩前へ

待っていた電話がきた。久しぶりに話して、了解を貰えた。

思い返せば、僕の人生の節目には彼の協力があるなぁと思うと、とても有難く感じる。

節目、だなんて今の時点では言えないのかもしれないけど、あえて言おう、これは節目だと。

一歩前へ。これからだ!

自分が持っているもの

今日は色々な学びがあったが、そのどれもが今までの自分になかったことだし経験してきていないことだ。ちょっと苦手かも、と言ってもいい。

しかし必要なことだなぁとも思う。

自分が持っているものって、自分では気づいているものもあれば気づいていないものもあると思う。そしていずれにしても、自分がそれを自信を持って表現する、ということに抵抗を感じるし、そもそもそんなに自信を持てない。

これは自己肯定感が低いとか自己開示に抵抗を感じるから、という点を持っているからなのだけど、そこが苦手でもあったから改善を見ることはなくこれまできた。でもこれがそのままでは相手に伝わらないし、説明も十分ではない。

自分自身を過不足なく表現できる技術を磨くこと。そのための自己分析。

そう思うと、ここ最近は自己開示力を少しでも上げたいと思う流れにはいたので、そういう波が僕の中で起こっているのだろう。

これを実践できかつ自然にできるようになりたいし、慣れたい。

 

いやー、修行ですなぁ。

書く速さ

ブログを書きながら思考を整理しているところがあって、冗長的な文章になりがち。

考えていることを書き留めて、投稿して、次の日以降はスッキリ忘れて見返すこともない、というのが普通になっていて、なんだろう、頭の中のデトックス?思考の便所?みたいな使い方をしている。

見返すことが重要、だとは思うのだけど、過去にあまり興味がわかないというか、書き終えたものをわざわざ振り返ろうとしないというか。

なんだろう、抜けるまでの髪の毛は自分の一部なんだけど、抜けた髪の毛はもう自分の一部ではない、みたいな感触に似ているのかな。

つまり僕は僕のいまこの瞬間の思考に興味があるのであって、過去の思考それ自体には興味がないんだろうな。

一方で、自分の意見や考えっていうのはそういう思考の繰り返し、あるいは積み重ねで強化確立されているのではないだろうか、と思ってしまう自分もいて、すると自分の中の積み重ねがなく、いつもその時その時で考えが変わってしまうんじゃない?って思う。

それって思考の軸がないような。

じゃあ言っていることが毎回変わるかというと、自分の中にはそうした自覚はなくて、第三者の意見として毎回言っていることが違う、と言われたこともあまりなくて。

すると、じゃあ結果として僕は同じ筋道を辿って思考ができているのかなーって。

じゃあ、同じ筋道の思考って何だ? きっとその源泉は、価値観、じゃないだろうか。

そうであるなら、僕の価値観はさほどブレていない、ってことなのかな。

じゃあその僕の価値観って何よ、ってなると、投げかけられる質問がないと答えにくいよね。

例えばこれこれの場面に遭遇したときに、あなたはどう行動するか、とか・

僕の価値観はこれです!っていうのは、政治的主張というかイデオロギー味があるような。

自分から主張するものではないのかな、って。

 

ほら、書き始めたことと全く違う話になっている。

こうして書きながら自分の思考はあっちにいったりこっちにいったりする。

これって独り言だよね。そう、ブログって独り言。

僕はブログを使って独り言言いながら思考を点検しているのかもなぁ。

だから、書いてみないと分からない。それが面白いよね、ってことに気づいたぞ。ぐふふ。