過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

値段

あなたなら、1万円あったら何に使う?

 

色々あると思う。例えばちょっとお高いレストランのコースなど、美味しいものを食べる、っていうのは一つ良い選択肢だ。

腕を磨いた料理人が素材を調理し独創的な味付けや盛り付けを加える。それを雰囲気の良い店内で待つ僕の目の前に現れ、美味しそうに舌鼓を打つ。

例えば一人5千円だとしたら、嫁さんと二人で料理を楽しみ話に花を咲かせたり。

 

1万円の使い道として美味しいものを食べる、という価値があるのだけど、例えば自分が1万円の価値を誰かに提供できるのだとしたら、それって一体なんだろう?

 

そもそも、1万円分の価値って、何だろう?

それは人それぞれだと思うから、自分の基準で比較する他ない。例えば何かを買おうとして高い安いというのは、何か基準があるからだ。1万円のカップラーメンと、1万円のテレビ、と聞くと、それぞれ受ける印象が異なるのは、その商品に対する基準を自分の中で持っているからだろう。

それは比較の問題で、”1万円分”となると、どうだろう。何をもって1万円分の価値とするか。

例えば僕がすぐ思うのは、1万円分の美味しい料理、だ。それも、一人ではなく嫁さんと二人で食事すること。

それをあえて「思い出」と呼びたい。この「思い出」が基準として取り扱うと、この基準を満たす、あるいは超える、というのが1万円分の価値にあたる。

製造物である商品には原価があるので、ここではサービスについて焦点をあてたい。

お客さんがいて、お客さんに与えるサービスに1万円分の価値があること。

それは思い出になるような価値。

 

なかなか定量的に測ることは難しいのかもしれない。自分にとって1万円分のサービスが、他者にとって等しく1万円分かはまた別だし、じゃあ5千円分のサービスだとしたら、1万円分に比べてサービスの質を落とすの?落とすとしたらどの程度?とか調整がきくのか、ってのもある。

すると、この話って、1万円分の価値を与える、という入り口ではなくて、自分が与えられる価値ってお金に換算できるのか、換算するとしたらいくらなのか、その根拠は?という質問になってくる。

そしてその根拠があるのなら、入れ替わって自分がサービスを受ける際に、金額に対してその価値が見込めるだろうか、という自分の尺度にもなる。

 

お金では買えない、測れないものは沢山あるけれど、お金とサービスのことを考えていたら、そんなことをふと思った。