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起業家のように企業で働く

"今あなたがここにいること、すなわち会社で業務を行うことは「会社」や「上司」、「人事部長」がそうさせているのではなく「自分」でそうすることを選択している。普段、仕事をしていると、みんなそのことを忘れてしまうんだ。"

起業家のように企業で働く 令和版

起業家のように企業で働く 令和版

 

 

2013年に初版が発行され、この度加筆・改定された本。
5つの章に別れ、それぞれでキーワードを取り上げ、それに対する価値観が語られている。
至極まっとうなことが書いており、何が書かれているか、というかどう僕が受け取ったか、ということについて、あえて以下3つのことに絞ってみたい。
 
1.自分が選択している自覚を持つべし
企業で働こうが、独立しようが、全ては自分の選択なのだという意識。企業で仕事をしていて、仕事に慣れてくると、ルーチーンワーク化してきて、日々目の前の仕事だけに意識が完結しがち。しかしそれも自分が選択した働き方なのだ。慣れてしまうといつの間にか自動化され無感情で仕事をする事も多くなり、面倒は仕事を避ける気持ちが湧くことが多くなった自分がいる。これは危うい。こうした一つ一つの事柄は、受け身の態度が引き起こすものだと思うが、それって結局は意識的にも無意識的にも自分が選択してきた結果なのだ、ということを認識するところから始めなければいけない、そう思う。
自分はどうしたいのか、自分だったらどうするのか、何事も自分事にして考える、そうしたことが必要なのだと受け取った。
 
2.戦略的に生きろ。そして志・ビジョンを持て
企業内で働くか起業するか、いずれにしても自分の強みを把握することは重要だ。その強みを活かすにはどうしたら良いか、自分が勝てる場所はどこか。あるいは自分がやりたいことがあるのなら、そのためには何が必要か。戦略を立て自分のキャリアを推し進めていく必要がある。その行動には志が必要だ。目標が必要だ。もっと言えば、その先のビジョンがあると良い。
自分がどうなりたいのか、あるいはチームで何を成し遂げたいのか、そのために不足していることは何か、もしくはその目標には一体どんな価値があるからこそ、やらなければならないのか。
 
3.チャレンジしよう
快適だったり緊張感がない状態が続くと停滞する。停滞すると人間は少なからず腐敗したり固執したりする。そこから脱するには新しいことにチャレンジすることだ。チャレンジすることが色々な刺激が得られる。そして成長するのだ。
 
結局、人間的に成長が望めなければ、競争の中では生き残れない可能性が高い。
僕自身は、成長が全てではないとは思う。成長することに鋭利化することで、そうでない他人に対して不寛容になる人を見てきたからだ。それは分断を生むし、そこに心の豊かさがあるのかは疑問である。
だから成長しなくていいや、という訳でもない。
どちらかというと、このご時世における「成長」という言葉が持つ社会観念に対して、嘘っぽさというか欺瞞というか、そうした否定的な気持ちを抱いてしまうところがある。
一方で、僕は怠惰で堕落した人間なので、何もしないということをどこまでもしてしまう。生産性というものを持ち合わせていない。
そしてこれが僕の中途半端さなのだが、そのままでいいや、と腹をくくれず、そろそろ動くか、とのっそりと動き出してしまうわけだ。
"余は偉大なる落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらう”と高らかに落書きをした坂口安吾のことを思うと、なんと意気地のないことか。
 
話は脱線したが、とにかく、実践あるのみだ。