過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

「やさしさ」と「冷たさ」の心理

 

"目的とすべきことは、一人でも生きることが楽しめる人になることである”

 

 

なんとなく、自分に響く分析が書かれている本である。
本屋の棚にディスプレイされているのを手に取り、パラパラとページをめくり、気になった本書。
分析、というのも、本書は「交流分析」という聞き慣れない心理療法の視点から、親と子を基礎とした人間関係における”心の健康”に関して述べられた本だ。
 
交流分析とは何か。グーグル先生に聞くと、以下だという。
 
交流分析とは、アメリカの精神科医エリック・バーン(E.Berne)が考案した理論体系で、1950年代から発達してきた心理療法のひとつです。 交流分析は自分自身のことや、人と人との間で何が起こっているのかを知りたい人に役立ちます。
 
読んでいると、家庭環境の話が重点的に出てくるので、フロイト的なアプローチが基礎にあるのだなぁ、ということが伝わってくる。つまり、僕的理解でいうと、自我形成の原因は親との関係に求めることができ、自分の様々な心の動きはそこから説明がつく、というものだ。
 
自己評価が割と低い僕にとっては、程度の差はあれど、ここで述べられているような分析は、なるほどと頷ける内容のものが多く、客観的な分析としては面白いものだった。そして心がぞわぞわした笑
 
人と親密になることに対する恐怖感の心理だったり、相手の好意を確認する行為であったり、自分に対する罪の意識であったり、等々だ。どれも自分に当てはまる!というわけではないが、ただ、書かれていることの程度の違いで、なんとなく自分にも重なる部分があるようにも思えるのだ。
そしてこれらは、自分に自信がないこと、すなわち不安を抱えていることの裏返しの結果であるように思う。自己実現ができている人は、親しい人にもNOと言えるし、自分のことを大切にできている。
僕は、相手を優先して考えてしまいがちである。それは、他人よりも自分を軽んじることをしがちであり、自分を大切にしきれていないということを示している。
自分を大切にしてこそ、相手を大切にすることができる。言葉では分かっていても、これがなかなか難しい。これはそうした教育を受けたからだろうか?
我慢することを美徳とし、義務を果たして権利を主張するべし、というように教えられてきた。
それが、本書で「抑圧」に該当したのだろうか。
ただ、良い子でなければいけない、というのは、あったのかもしれない。
 
自分の過去を掘っていく、というのは楽しい作業ではない。
ここで自分の過去を掘っていくことはやめておくが、書かれている分析を読んで不快にいる方も、心がえぐられる方もいるのではないだろうか。
断定口調で本書は書かれているので、自分と深く同一視してしまうと、ダメージを受けるかもしれない。
あくまでこれは一つの見方なのだということを頭に入れて読む必要があると思う。
 
自分に注意を向ける、という意味で、この本を読んで見るのはありだろう。
少なくとも僕は、最近自己分析の領域にいるので、一つの分析として本書を読めてよかったと思っている。