過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

急停止

午前中に先方へOKの返事をした。

午後に上司から不可の連絡を受けた。

組織的にいま人の補充は不可能で、その判断は更にその上長からのものだ。

最大の理由は同じ部で退職者が決まったこと。

さらに僕も異動となるには到底承認できないのだと。

 

如何ともし難い。

 

そして僕は受け入れた。受け入れざるを得なかった。

そして無力感に包まれた。虚無感に支配された。

最悪の結果になったのだ。

何にもなれず、中途半端に終わった。

 

いまいる場所にいて10年。

ここにいてなれた自分を振り返ると、非常に中途半端な人間というのが自分の客観的な評価だ。

技術面で秀でたか?否。

カスタマーマネジメント面で秀でたか?否。

ビジネス面で秀でたか?否。

自己否定の連続だ。

結果、中途半端な自己像が作られた。

だから、いまの仕事を続けることでのキャリアプランが築けない。

この先にいる自分の姿がイメージ出来ない絶望感。

 

抜け出したかった。

変えたかった。

 

そこに今回のチャンスが舞い込んできたのは前回書いた通りだ。

 

今回、どこにいたいかよりも、何をしたいかを考えて出した答えではあったんだ。

何かをつくる、生み出すという要素が楽しそうだと感じたんだ。

だからチャレンジしてみようと思ったのだ。

その一方で、今までお世話になった場所がどうなろうが知らないし関係ない、自分の異動を通すのだ、ということが出来ない。

これが組織にとって都合の良い部分なのかもしれないけど、かといって簡単には切り離せない。

 

あいつは言うよ。

上司はお前の人生の責任なんてとらない。自分の人生は自分で責任を取るんだと。

そのままでは、お前は組織にとって都合の良い駒でしかないんだ、と。

だから、絶対にいまいる場所から外へ行くべきだ、と。

 

否定できない。都合の良い人間という側面はあるんだろう。

言うまでもなく、上司の話を飲み込んだときに、俺も都合の良い男だよなぁ、ということも自分に感じた。

 

でも一瞬だが、どこかに安堵した自分もいた。

それにまた絶望したのだ。

決断したことは、そんなにも軽いものだったのか。

絶望の連鎖。

いつだって自分は自分に裏切られるのだ。

そしてその裏切りは自分の中から出るものだ。そうした裏切りも含めて自分なのだ。

裏切られる、ということは、自分を欺いてたということだ。

自分を欺いた結果、裏切られると感じるのだ。

そう、結局のところ、自己欺瞞に突き当たる。


中途半端だと感じる自己像を作ったのは、他ならぬ自分ではないか。

力が足りないことを認めつつも改善する努力もせず、場当たり的に、適当にこなしてはいないと言えるか?

自分の努力不足はゼロだと言えるのか?


確かに、そうした自己欺瞞はある。

だからといって、いまの仕事が楽しめるかと言うと、そうではない。

ここの重み付けが難しいのだ。


どちらが先に来るか?


今回のチャンスで、僕は後者を優先した。

面白そうだと思える仕事だったからだ。


しかし、チャレンジも出来なかった。

いや、他に方法はあるのかもしれない。

”終わった”と決めたのは僕だ。

ただ、これ以上続けると、僕の単なる我儘になりそうで、悪い方向に行きそうな予感がする。


なんだか知らんが、今まで大人しくしといてイキナリこんなこと言い出して、上手いこと言われて一時的に盛り上がっちゃってるだけだろう。


きっと上からこう思われているんだろうなぁとか考える自分がいる。

厳しさ危うさを繰り返し説けば、思いとどまる玉だろう、と判断されたのかもしれない。


そんなこと全部ひっくるめて行くと決めたはずなのに、いま見ている結果は予想した最悪のものだ。


こうして僕は自己批判と絶望を繰り返し味わい、自分を衰弱させていくんだ。


でも、上司には感謝している。

あれこれ手を尽くし、いまいる組織で、希望に近い部署へのローテーションを模索したり、上長へ進言してくれている。

少なくともそう言っている。

直接苦労をかけることになるのは、今のメンバーであり、そして上司だ。

これ以上、迷惑をかけられないと考えれば、ここで区切らなければいけない。

少なくともいま動く時では無いのだと。

時期を見なければいけないのだと。


月曜に、先方へその事情を話す。

今日のところは、そういう結果だ。

ここ数日、鬱々が止まない。

気持ちを切り替える術を知りたい。