過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

自省録

"君の指導理性はいかに自分を用いているか。この一時に万事がある。その他の事は君の自由意志の下にあろうとなかろうと、死と煙に過ぎない。"

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

 

 

金言に溢れた本だった。少しずつ読み進め、読み終えた頃には付箋やドックイヤーだらけの本になっていた笑
自省録を読もうと思ったきっかけは、NHK Eテレの「100de名著」だ。たまにこの番組を見るのだが、早くからその反響はネットを通じて目にしていた。
番組の解説員に、「嫌われる勇気」で著名な岸見一郎氏が出ていることも興味を引き、その本が好きな妻も、この番組を通して自省録に興味が湧いた一人だ。

読んだ感想として、自分の本分を全うすることを重視し、他人のことをあれこれ考えることで自分を消費するな、ということが繰り返し書かれている。今も昔も、悩みのタネは人間関係であることが伺い知れるが、そういった事柄一切は主観からくるものであり、そうした主観は捨てよと言っている。大切なのは、公共福祉を目的として理性的人間として己の指導理性に従い、本分を全うし、いつ死んでも良いような日々を過ごすこと、といったことが書かれているように思う。哲学者になりたかったものの、皇帝の座につかざるを得ず、書斎人になること叶わず政治と戦の日々を送っていた。裏切りにあったり、更には妻や子供をなくしたりと、悲痛な経験をいくつも持っているが、それらに負けず己の務めを果たしたのだ。その彼を支え続けたものはなにか、挫けそうな精神を、ストア哲学の教えからくる考えを、備忘録的に日々記し、自分に言い聞かせていた、そんな姿がこの本から想像できる。

訳者の神谷氏が、ストア哲学についてうまく言っている。

不幸や誘惑に対する抵抗力を養うには良い。我々の義務を果たさせる力とはなろう。しかしこれは我々の内に新しい生命を沸き上がらせるていのものではない。我らの生活内容豊富にし、われらの生活肯定力を充実し又は旺盛にするものではない。そういう力の泉となるには、全人格の重心のありかを根底から覆し、置き換えるような契機を与えるものが必要である。それはストア哲学にはない。

そして、こう続けるのだ。

しかしこのストア思想も、いちどマルクスの魂に乗り移ると、何と言う魅力と生命とを帯びることであろう。それは彼がこの思想を持って生きたからである。

あくまで人間らしい心情と弱点を備えた人間が、その感じやすさ、傷つきやすさのゆえになお一層切実に絶えず新たに不動心(アタラクシアー)に救いを求めて前進していく、その姿の赤裸々な、生き生きとした記録がこの自省録なのである。

見事なまとめだなと思う。

確かに、僕はマルクスのような偉人ではない。しかし、同じ人間だ。だから、僕にもその心構えは学ぶことができる。
自分が弱ったとき、しっかりと自分の足で立てなくなりそうなとき、自省録の言葉を思い出したい。そう思わせてくれる本だった。