中庸の教え
"わたしたちは揺れ動く。その揺れ動きこそが自分なのだ。"
これまで超訳シリーズに手を出したことがないのだけど、たまたま本屋にこれが目に付き、パラパラとめくっていたら素朴ですっと入る言葉が多く、そのまま購入したこの一冊。
モンテーニュのことは知らなかった。16世紀後半、フランスはボルドーの近くに生まれ、裁判官を務め、父親の死を契機に領地の経営のため故郷に帰り読書暮らし、次いでボルドー市の市長に選出、という経歴を持つらしい。その時代のフランスではカトリックとプロテスタントが対立し、血みどろの内戦を繰り広げており、彼自身、おもに調停者としての政治的・外交的活動をしていたそうである。
この本の元となっているエセー (もしくは『随想録』と呼ぶ) は、前述読書ぐらしを始めた頃から書き始めたもので、全6巻からなる、人間を鋭く洞察した書物のようで、フランス・モラリスト文学の礎(いしずえ)を築いたばかりでなく、後代のフランス文学、ヨーロッパ文学に深い影響を及ぼしたとされているらしい。
さて、本書のあとがきでも触れられているけど、エセーを元として、編訳者が現代人に読みやすいように言い換えを行っているので、エセーの書物それ自体とは異なる本のようだ。一方で、編訳者自身、モンテーニュに魅せられた人であり、原典に向かわせるためにも、その入り口として読みやすく、しかし本質を変えることなく、エッセンスを届けようとしたものだ。
僕自身、原典を読んでいなからその点はわからないのだけど、少なくともここに書かれているアフォリズムには、しみじみさせる何かがあった。
無常であること、自然を尊重すること、無知であるがゆえの謙虚を忘れないこと、といったメッセージを受け取れる。
自分自身を知ることが大切なのだと言う一方で、確かな自分というのは実はなくて、自由自在に変化するものなのだということも認めている。
自分というものは揺れ動くものなんだ、というのは実感を以て理解できるし、その時その時で変わる部分があると思っている。
だから、他人が揺れ動くこともまた然り、と認識するのだけど、スピードの早い現代社会において、細かいところや目に写る部分を見ていてそれに右往左往されて疲れてしまう、というのも実際ある。これはもっと見方を変えればいいのだろうか。。
無常、儚さ、といった事柄が特にそうだけど、割と東洋思想にも馴染む考え方だと思え、強ばることなく読めてしまう。エセーも読んでみたいな、と思えるものだった。
追記:
こちらのblogで紹介されている、実際にモンテーニュが書斎の紹介が興味深い。
彼が使用していた部屋の天井には、気に入った文章の引用や格言が彫り込まれているそうだ。紙に書いて別においておくとか貼っておく、ではなく、天井に書き込んでしまうだなんて! それほど常に目にしておきたい、思い返したいと思えるものだったんだろう。なんて書かれているのか興味があるなぁ。