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お手本探し

最近、ハヤカワ文庫から出ている、「あなたの人生の意味」上下巻を読んだ。

それはこんな一説からはじまる。

 

"私は最近良く考えることがある。人間お美徳には大きく分けて2つの種類があるのではないかということだ。一つは履歴書向きの美徳。もう一つは追悼文向きの美徳。"

 

この二種類の美徳について著者は、ユダヤ教の指導者であるジョセフ・ソロヴェイチックという人が1965年に書いた「孤独な信仰の人」という本から転用し、「アダム1」と「アダム2」という言葉に言い換えている。

「アダム1」は僕らの中のキャリア志向で野心的な面を指し、目に見える成功であったり常に前進上昇を目指したり、いわゆる外の世界での承認を求めた立ち振舞い全てに関わるものだ。

一方「アダム2」は内なる世界に向かう力であり、道徳的資質を持とうとすること。謙虚であったり他人への奉仕のために自己犠牲を欲したりと、アダム1とは全く異なる理論がそこにある。

例えばアダム1の理論が経済の論理であり職業的な成功を欲するものとすれば、アダム2は道徳の論理であり道徳的な成功を欲するもの、というように。

 

著者は現代社会においてこのアダム1ばかりに注目が集まっていることに違和感を覚え、かつての社会においてはカントが言った「人間とは所詮、曲がった材木のようなもの」を引用し、つまり人間は生まれたままでは欠陥のある存在なのだから、それを自覚して謙虚でなくてはならない、というアダム2の道徳観を呼び覚まそうと本書で試みている。

その手段として、8つの章で昔の偉人の伝記を取り上げ、彼ら彼女らがどのように生きたか、というものを紹介している。そこから、それらを「人生を手本とする」ようなコンテクストを読者が受け取り、「良い人間になりたい」「この人のように行きたい」という気持ちに火がつくように期待している、というのが著者の狙いである。

 

前回の記事でも触れたように、最近の僕としては、何か規範になるような対象を探しており、冒頭こうした文を読んで、密かに胸踊らせた。

そして実際に、それら伝記に感じることは多かった。僕自身、ここに紹介されているような美徳に共感することは多い。それは時代遅れと言われるものかもしれないが、僕が育った環境を振り返ると、国は違えどそうした道徳観が確かにあったと思えるし、そのことに時代性というものを感じずにはいられない。

しかし僕が求めているのはより実際的な、身近な、強く思えるような、そうした手本になる人物だ。

ここに紹介されているのは、当たり前だがアメリカの偉人が大半で、あとはキリスト教かイギリスかの由来によるものだから、結局はアメリカ文化に関わる人々だ。

ナショナリズムをこじらせているわけでは毛頭ないのだが、手本にするにはやはりどこか距離を感じてしまう。勿論そこには普遍性があるのだけど、もっと身近に感じられる人物が僕としては理想だ。そういう意味で、日本人でそうした人に出会えると嬉しいと思う。

本の中で最も親近感が湧いたのを挙げるのであれば、アウグスティヌスだろう。昔、哲学関連の入門書を読んだときに、何故か頭にひっかかって名を忘れることはなかった人。人物紹介はwikipediaを読んでほしいが、自分の弱さに自覚的で、かつ正直な人だった。「告白」という著書で自分の性欲含む悪行について書かれているようで、そうしたことを含めて人間味を感じる。自分の、ひいては人間の弱さというものを認め、受け止め、そこからキリスト教の教義を構築していく。そこには自分の内なる面への探求があり、そこに親しみのようなものを覚える。

 

そういうわけで、もしあなたが日々を慌ただしく過ごしていることが多いなら、この本の読書を通して、一度立ち止まって内なる声に耳を傾ける、そうした時間があってもいいのかな、と思う本だった。そしてもしかしたら、手本にしてみたい人が見つかるかもしれない。