読後の憂鬱 / 命の器
昨日から夜になると憂鬱な気分に襲われる。
なぜだろうか。
宮本輝氏の小説を最近読んでいて、その流れでエッセイ集である「命の器」を読み終わったのが昨日で、もしかしてそれがきっかけなのかもしれない。
なぜきっかけになるかというと、ちょっと言葉で的確に言い当てられないのだけど、自分と向き合う、ということにスポットライトが当たっているからだと思う。
明確に自分を向き合う、という作業をしているわけではないのだけど、読後はぼうっと内省することが、少し増えた。
そうすると何が起こるかというと、不安な気持ちが湧いてくるのだ。
この不安なるものはどういう種類のものなんだろう。
それもまだ分かってはいないが、昔に似た経験はあるので、やはりこれは不安なのだよなぁとひとりごちするのだ。
しばらく横になってその気分のままぷかぷかしていると、少しづつ沈んでしまう。
精神が弱り、時間だけがただ過ぎていく。
シャワーを浴びると、少し気分転換になる。
そしていま、気分転換がてら、ブログに少し書き綴っている。そうすると、少し心が軽くなるのだ。
物書きをするということは、自分と向き合うことだったり、不安との戦いであったり、はたまた書くというアウトプットの行為を通じて癒やしを得る、というものなのかもしれない。
氏が命の器の中で書いていた、持病と隣合わせにあった苦しい日々のことを思うと、少しそうしたことを思うのだ。