ストレスと酒
酒の力というのは偉大である。
最近、高ストレス下に置かれることがあり、その時の時間の使い方というのは人それぞれだと思う。
僕の場合は最悪で、ウジウジと悪い方向へぐるぐる頭を使い心身を疲弊させてしまう。
だから何かするような気力も湧かず、できれば布団で横になりただただ平静を保っていたい気になるのだ。
それで解決することはないのは百も承知で、問題に背を向け快適な時間を過ごしたい、そうした時間なのだ。
これは心の弱さに起因する問題だと思う。
心配すべき問題とそうではない問題との違い、そして今それが必要なのかそうではないのかの判断の可否、そうした点を、感情論や精神論で一緒くたにしてしまう。
とはいっても、結局のところ問題に対する態度、あるいは心持ちの強度の違いが大きく左右されるのだろう。
僕はその力が弱い。自覚しどうすれば良いのか迷うほど弱い。
しかしそれで良しとされる位置に僕はいないのだ。
強くならなければ、強くあらねばならない。
そんなこと、ずっと前からわかっているのに、それがどんなに困難であるか。
こうした文を書いているのは客観的になれるし、そのことに相対的に距離を取れる。
しかし事は主観的なことであって、対峙したときの反応は、その場、その時に刻々と刻まれるのだ。
なーんて。
何が一番大事なのか。
そして自分は何がやりたいのか。
僕はいま大変な道の途中にいる。自分の臨んだ道である。
一人前にならなければ次は無いのだが、それが如何に大変なのか、正に噛み締めているのだ。。
そうしたストレスに押しつぶされると、自分というものが破綻する。
冒頭でいった酒の偉大さというのは、目の前の闇を、一時的に取り除いてくれることだ。
それは恒久的なことではないのは重々承知だ。
しかしそんなことはとりあえず横においておいて、愉快な気分にさせてくれる酒の効用というのは、なかなか馬鹿にできないものだと感じる今日のこの頃なのだ。