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過ぎ行く日々を少しでも。

嬉しいこと楽しいこと悲しいこと腹立たしいこと。日々の記憶を少しでも紡げる様に。

夫婦のカタチ

日記

今日は友人と仕事帰りに寄り道。

色々と話す中で、結婚についてを考える話となる。

彼は自分のキャリアを戦略的に計画することに能動的であり、ある意味では結婚もその手段の一つでもあるのだ。

こう書くと冷徹漢のようにも聞こえるが、その手段だけを考えた訳ではない。

彼は、女性から縛られるのは嫌いなタイプで、自分の時間や趣味に優先順位がある。そして大抵こうした男は、エネルギーがあり女性にモテる。なので、自分から動かずともある程度供給はあるし、自分から行きたいと思うときは恋愛感情ゲームに勝つことその点にある。

だからといって女性に冷たい訳ではなく、紳士的である。

このような彼は、共に過ごす女性として必要以上の干渉を受ける事を嫌う。そしてそれは僕も同意する。

そのため、そうした自分を受け入れてくれるパートナーであることが望まれるのだ。

そうなると、どんな時でも暖かく見守ってくれる聖母タイプか、同じように自分の時間や趣味が優先のタイプかとなり、後者と出会うのである。

そうしたパートナーとの生活は、お互い、お互いの時間を過ごす事を優先あるいは尊重するので、普段の生活リズムはすれ違う時もあるが、お互い好きな事をできるという面では理想的だ。

(彼は彼自身で一種義務のような自分ルールを持ち、きちんとそれを守っている。その面で彼は真面目でありブレずに筋を通している。そこは楽な方に揺れたりしないのは、理性の強さで見習うべき点なのだ)

 

ここで、いわゆる従来の夫婦像を持つ人は、夫婦は一緒にいるべきだ、2人の時間をもっと作るべきだ、などとやかく言う。

肝要なのは、2人がその生活に満足していて幸せを感じ、自然であるのなら、それで良いではないかという点だ。

他人がとやかく言うのは、ただ理想像を押し付けているに過ぎない。

 

翻って僕としても自分の時間は大切だ。しかし夫婦生活を始めると自動的にそうした時間は失っていくし、それが生活リズムとして溶け込んでいくと慣れてしまう。むしろ2人の時間という生活の一部が自然になってしまっている。

(最も、妻は1人の時間が欲しいと切望するし、僕も分かるのだか…。)

そうした面から見ると、1人の時間が自然に持てるというのはとても羨ましいことである。

だからといって僕が今ある2人の時間を全て投げ出すかというとそうでも無いだろうから、やはりここは人それぞれ夫婦のカタチというものは違うのだなぁと了解するだけで良いと思うのだ。

 

世間では色んな論議のある夫婦論だが、相手を尊重することができるのであれば、それは余計なお世話の言葉で片付いてしまうようなものなのかもしれない。