過ぎ行く日々を少しでも。

嬉しいこと楽しいこと悲しいこと腹立たしいこと。日々の記憶を少しでも紡げる様に。

腐れ縁

僕には腐れ縁の友がいる。

学生時代に時を一緒に過ごしたアイツは、先に僕が社会人になり、その後アイツも社会人になった。それも同じ会社で。

僕は技術系の職につき、アイツは営業系の職についた。

それから幾年の月日が経ち、僕は地味で他への持ち出しがあまり効かないような仕事をしている一方、営業職のアイツは業界の知識をはじめとした世間一般的に他でも通じる知識と知恵を蓄えている、

実際のところ、アイツは社内でも買われていて今後期待されている人材の一人だ。

そんな、社内において日陰と日向の関係性がある。

しかし営業職というのは半端無くプレッシャーがかかるし、アイツの仕事は常人では務まらない仕事であると思う。

それをこなしていること自体、一つの驚きに値する。

彼の持つ能力や業績、他者からの評価に対して、僕は素直に凄いなと思うのだ。

 

一方で、自身と比べてしまう自分がいる。

アイツのいる今のポジションはアイツ自身が仕事や自分のやりたいことへの熱意と勉強により築き上げてきたものである。

それに対して僕はどうだ。仕事に対してアイツほどの熱意も持てないというよりも、仕事をこなすことが第一目的にきている。

自分が何をしたいのか、というよりも、仕事を片付けるという意識が優先される。

 

恐らくはそうした意識が普通あるいは大多数の世間なのかもしれない。

好きでやっている仕事というのは、全体からしたらほんの僅かな人数なのかもしれない。

でもアイツの仕事の話を聞く度に、自分のなかで黙殺している部分が疼きだす。

それは去年、苦しんだ後にアクシデントで手放した旅路に通じることであるし、そのキッカケとなったのも実はアイツだ。

 

そうした自分のザワメキに直面したとき、一体自分はどこを目指しているのだろうという疑問が湧くのだ。

 今眼の前のことに一生懸命になること。僕はそう考えたはずだった。

しかし未来への展望を語る人の前で、僕はまだ胸を張ってそうしたことを言えない自分に気がついた。

むしろ、相手が語る現状認識や今後の展望の前に、普段フィールドを異にしている僕としては語るべきことは殆どなかった。

そのことが、悔しいというか虚しかった。

結局のところ、自分がいかに知らないかという劣等感を感じる事になったということだ。

 

今の仕事をしていると、そうした俯瞰的な見方ができなくなってしまうし、そうした見方が必要になる場面がないことで、ますます切り離された世界になってしまう。

 

僕がここで何を言いたいかというと、自分の弱さと未熟さについてだ。

断っておくと、アイツへの憎しみなんて一切ないし、むしろ外的刺激を与えてくれる頼もしい存在だと思っている。

アイツは我が家に久しぶりに格ゲーをしにきて、この格ゲーは学生時代から続いているものなんだけど、本当に腹立たしく下らない内容なんだ。

でも少なからずアイツは僕に対して、いま僕がいるポジションから脱して欲しいと思っているみたいだし、前回そうした協力をしてくれた。流れたけど。

まぁとにかくそうした腐れ縁が僕にはいる。

 

あいつの弱さや未熟さについては僕も承知しているけれど、仕事面に対して僕はほとほとアイツの熱にやられてしまう。そして、それにやられてしまう内は、僕は本当の意味で自分の道を踏みしめていないのかもしれない。

色々な本から得た視点や旅を通した体験を得たとしても、アイツのように仕事に対する情熱の前には、僕の得た知見は前に出ることに怯えてしまうんだ。

こうして僕は僕自身の脆弱性を認識するのだ。

 

アイツに負い目無く仕事の話が出来るようになった時に、僕のこうした負い目は無くなるのだろう。

何やら不健全な感じもするが、僕はこれを乗り越えなければいけないと考えている。

 

他人の土俵で戦わず、僕は僕の土俵で戦わなければいけない。

そして色んな土俵が存在しつつ、一つの社会が成り立っている。

そんなことを思いながら。