次の日
事件があった次の日は、少し仲直り。
仕事もあって、お昼から家を出て、夜に帰ってきた。
妻は21時過ぎに帰ってきて、一緒にてんやの弁当を食べる。
仲直りはしていたけど、また少しわだかまりがある感じ。
だから、昨日きっかけになった話をもう一度、やわらかくおさらいして、考え違いで話の方向がずれたことを認識した。
そして、お酒が入ると僕がめんどくさい男になることを改めて言われて反省。
その通りです。。
なので、二人で呑むときの酒の量は制限された。
かといって、一件落着というわけではない。
妻の、そして少しだけ僕の、うつうつとした気持ちは簡単には消えない。
妻は、喧嘩の耐性がないのだ。人と争うと、その場から距離を置き立ち去ろうとする。
うつうつとした気持ちは現状否定の方向へ走り、部屋が汚いことや住んでいる環境や場所への不満がやはり出てくると、どんどんとネガティブになりリセットしたい気持ちが大きくなるのだ。
そうしたうつうつとした状況から、開放されたいし、自由になりたいと願う。
だから、現状から脱して自由になりたいという志向が出てくるのだ。
それは何も初めてのことではないし、過去たびたび繰り返される問答でもある。
彼女が望む場所へ住居をかえることは仕事上難しいし、現実的ではない。
なので、なかなか解決が難しいのだ。
泣いたことである程度はスッキリしたようだけれども、うつうつとした気持ちは少し残っている。
そして彼女は彼女なりに、これではいけない、ということも知っているしもがいている。
とりあえず暫くは、1人の時間を過ごしたい気持ちが高まっているみたいだから、程良い距離感が必要そうだ。週末はお互いに1人の時間を過ごす、といった具合に。
ほんの些細な出来事が、生活のリズムを狂わせてしまうことがある。
それは一種の事故のようなものかもしれないけれど、不注意であったり、怠慢であったりすることが、そうした事を引き起こす部分があるのかもしれない。
少し踏み外すと、ヒビが入ってしまうガラスで出来た道のような危うさが、僕達の生活に潜んでいる。
そのバランス感覚やテクニックや心構えといった、道の歩き方の修練を積み重ねることが、いつかガラスではなくなる日に繋がるのかもしれない。
そんな願いを抱きながら、強く生きようと僕は今日も思うのだ。