過ぎ行く日々を少しでも。

嬉しいこと楽しいこと悲しいこと腹立たしいこと。日々の記憶を少しでも紡げる様に。

読書で賢く生きる。

中川淳一郎氏、漆原直行氏、山本一郎氏の御三方が繰り広げる、読書に関する本。

知らなかったのだけど、「ビジネス書ぶった斬りナイト」というトークイベントが元々開催されており、各御仁が語る読書論の合間にその対談も収録されている。

自己啓発を求めてビジネス書とその界隈の本に手をだしては底なし沼から脱出できない人々を例にあげ、全方位からズブリズブリと刺す様は、この本を手にした読者たちから何人の死人が出るのであろうかと思われるほどの味わいに仕上がっている。

かく言う僕もそのうちの一人である。

自己啓発本なんていうある種の宗教本なんて時間のムダだ!結局のところ、自分の経験から分かる自分なりのやり方がイチバンに決まってる!ケッ!」

そう、僕はそう思っていた。

しかし年を重ねて自分の現状を変えられないもどかしさや焦りやもがきの色々が混ざり、時に絶望し時に虚無を感じ、それでも前を向かなければいけないと思う時もある。

そんな僕にとって、自己啓発本に掲げられている、改善や成長の性質を帯びたテーマ、つまり「いまの自分から脱却する道標を示してくれる本」というのは、とても魅力的な本だと感じるのもまた事実なのだ。

それでも、僕の中の僕は知っている。

現実から目を背け、理想の自分を夢想したいだけなのだ。そうしている間だけは、自分への肯定感を確かに感じられるから。

そう、自己啓発をはじめとした "~の技術" とか教養とか哲学とか、ある意味ゴールのない永遠に続く散歩というのは、ともすればその向上心や願望から手にした読者からの搾取という形になりえるし、それを狙う不誠実な著者や出版社はいるのだということも、本書で触れられている。

 

結局のところ、読書というのは、内容への疑問やツッコミを通して、それを自分なりに咀嚼しつつ、客観的に己を知り構築し、自身の人生をより良くしていく営みなのかな、とは思う。

振り返れば僕の読書は、どこか、"ただ時間を消費する" 作業だった部分があるなぁと思う節がある。読んだ内容を大体忘れてしまい自己嫌悪を感じた結果、そう思うのかもしれない。

J・モーティマー・アドラーの「本を読む本」を読んで、読書術の専門性の高さに挫折し、ショーペンハウエルの「読書について」を読んでは、"読書を通して他人の考えを読むことと自分で考えることは別だ。分かった気になるなアホが。読書してる暇があったら自分で考えろバカが" と辛辣な批判を浴び絶望した。

本を読むことの深淵さを覗き込みボコボコにされた僕ではあるけれど、しかし最近は徐々に、改めて読書のやり方を改善しようと思う自分がいるのだ。

まずは一度読んだ本は二度読まないことが普通であったことを改め、気に入った本は何度も読もうだとか、古典を読むようにしようとか、著者の持つコンテクストも含めて読み解いてみようとか、とかく読書のやり方を変えてみようと思う気持ちが高まっている。

そうした中で、最近読んだ「内定童貞」の面白さから気になった中川さんと、ブログでその独特な味わいを醸し出す山本さんの両者が共著になっている本書は出る前から気になっていたし、手にしてよかった。

なるほど読書家としての態度はそうしたものですか、と背筋が伸びたのは、御三方に共通して感じた、本への信頼と誠実さだ。僕も見習おう。

 

良薬口に苦しな本でした。

読書で賢く生きる。 (ベスト新書)

読書で賢く生きる。 (ベスト新書)