ストア哲学入門
"わたしがストア哲学を信奉するようになった最後の理由は、死が必然であり、それにいかに備えるかについて、ストア哲学をもっとも直接的に、説得力をもって論じているからだ。わたしは最近、50歳という節目を過ぎて、より大きな問題について考えるようになった。すなわち、わたしは何者か、何をしているか、ということである。"
気になっていた本書、読み終えた。書き始めるとだらだらと長い記事になってしまったので、目次というものを初めて作ってみた!
なぜこの本を手に取ったのか
実は、ストア哲学という存在を認識したのは初めてではない
ストア派の哲学のテーマは、ともに個人が自分の生をいかに肯定できるかという問題だが、生活上の問題を深く洞察してその原理を掴みだしていくと言うより、人生論的な観想に近くなっている。
哲学との記憶
「大工は学ぶことによって大工になり、船漕ぎは学ぶことによって船漕ぎになることをわたしたちは知っている。では、正しい行動をするということにおいても、そうしたいと願うだけでは十分ではなく、そうすることを学ばなければならないと考えられるのではないか。今足りないのは、理論ではない。理論はストア哲学の書物にたくさん書かれている。では、何が書けているのか。それを実践し、行為によって実証する人だ」
で、この本について
「羊のようなことをしてはいけない。そんなことをすれば、人間性を失うことになる。羊のようなことをするとは?食欲や情欲に流されるとき、思慮や品性や配慮に欠ける行動をするとき、羊にように堕落するのではないだろうか?何を損ねるのだろうか?理性である。闘争的だったり、有害だったり、怒ったり、無礼だったりする行為によって、わたしたちは堕落し、獣になるのではないだろうか?」
中庸の教え
"わたしたちは揺れ動く。その揺れ動きこそが自分なのだ。"
これまで超訳シリーズに手を出したことがないのだけど、たまたま本屋にこれが目に付き、パラパラとめくっていたら素朴ですっと入る言葉が多く、そのまま購入したこの一冊。
モンテーニュのことは知らなかった。16世紀後半、フランスはボルドーの近くに生まれ、裁判官を務め、父親の死を契機に領地の経営のため故郷に帰り読書暮らし、次いでボルドー市の市長に選出、という経歴を持つらしい。その時代のフランスではカトリックとプロテスタントが対立し、血みどろの内戦を繰り広げており、彼自身、おもに調停者としての政治的・外交的活動をしていたそうである。
この本の元となっているエセー (もしくは『随想録』と呼ぶ) は、前述読書ぐらしを始めた頃から書き始めたもので、全6巻からなる、人間を鋭く洞察した書物のようで、フランス・モラリスト文学の礎(いしずえ)を築いたばかりでなく、後代のフランス文学、ヨーロッパ文学に深い影響を及ぼしたとされているらしい。
さて、本書のあとがきでも触れられているけど、エセーを元として、編訳者が現代人に読みやすいように言い換えを行っているので、エセーの書物それ自体とは異なる本のようだ。一方で、編訳者自身、モンテーニュに魅せられた人であり、原典に向かわせるためにも、その入り口として読みやすく、しかし本質を変えることなく、エッセンスを届けようとしたものだ。
僕自身、原典を読んでいなからその点はわからないのだけど、少なくともここに書かれているアフォリズムには、しみじみさせる何かがあった。
無常であること、自然を尊重すること、無知であるがゆえの謙虚を忘れないこと、といったメッセージを受け取れる。
自分自身を知ることが大切なのだと言う一方で、確かな自分というのは実はなくて、自由自在に変化するものなのだということも認めている。
自分というものは揺れ動くものなんだ、というのは実感を以て理解できるし、その時その時で変わる部分があると思っている。
だから、他人が揺れ動くこともまた然り、と認識するのだけど、スピードの早い現代社会において、細かいところや目に写る部分を見ていてそれに右往左往されて疲れてしまう、というのも実際ある。これはもっと見方を変えればいいのだろうか。。
無常、儚さ、といった事柄が特にそうだけど、割と東洋思想にも馴染む考え方だと思え、強ばることなく読めてしまう。エセーも読んでみたいな、と思えるものだった。
追記:
こちらのblogで紹介されている、実際にモンテーニュが書斎の紹介が興味深い。
彼が使用していた部屋の天井には、気に入った文章の引用や格言が彫り込まれているそうだ。紙に書いて別においておくとか貼っておく、ではなく、天井に書き込んでしまうだなんて! それほど常に目にしておきたい、思い返したいと思えるものだったんだろう。なんて書かれているのか興味があるなぁ。
起業家のように企業で働く
"今あなたがここにいること、すなわち会社で業務を行うことは「会社」や「上司」、「人事部長」がそうさせているのではなく「自分」でそうすることを選択している。普段、仕事をしていると、みんなそのことを忘れてしまうんだ。"
転職の思考法
"私は、転職が日本の社会を変えると本心から信じている"
このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法
- 作者: 北野唯我
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2018/06/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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印刷業界における大企業の営業マンとして働く青野君という架空の人物を主人公として、黒岩と呼ばれる経営コンサルタントから"転職の思考法"を学ぶストーリー仕立ての思考本。
主人公の置かれた立場や悩み、人物模様など、具体的に練り込まれていて一つの小説に近いものになっている。そして、彼が転職へと至るまでの疑問や悩みというのが、多くの人に共通しそうな、共通項の多いものになっていて、かつ具体的なのでぐいぐい読み進めてしまえる内容になっている。
この本を手にとっている時点で、少なくとも転職という考えが頭の片隅にあるだろうから、本人にある程度リーチするのは当然なのだろう。
この本がユニークなのは(といっても他の転職本を読んでいないので比較できていないけれども)、自身の転職先を選ぶ上での具体的な指標を挙げてくれていることと、それに留まらず、生きていく上での知恵、というものを少しアドバイスしている点だ。
例えば、こういう一節がある。
実際のところ、99%の人間が君と同じ、being型なんだ。そして、99%の人間は「心からやりたいこと」という幻想を探し求めて、彷徨う事が多い。なぜなら、世の中に溢れている成功哲学は、たった1%しかいないto do型の人間が書いたものだからな。彼らは言う。心からやりたいことを持てと。だが、両者は成功するための方法論が違う。だから参考にしても、彷徨うだけだ。
そして、心からやりたいことがないからといって悲観する必要は全くない、なぜなら「ある程度やりたいこと」や好きなことは必ず見つかるし、それで良い。その好きなことを、少しずつ育てていけ、と言い、こう続ける。
being型の人間にとって重要なことは、マーケットバリューを高めること。そのうえで「迷ったときに、自分を嫌いにならない選択肢を選ぶこと」だ。
あー、僕はbeing型ですー、と99%の人は読みながら思うのだろう。僕のように。
著者が目指している、信じているものというのは、よく分かる。
組織に依存して自分に嘘をつきながら過ごすよりも、自分という個が力を持ち、自分の好きなことで働くこと。そしてそうした人材が一般に求められる社会というのは、労働環境に置いて企業の理論が強力であることで人を不当に扱ういうような状況を無くし、個々人の力を健全に引き出し、風通しのよい文化を作っていく。働く人達が健全で元気であれば、社会もまた元気になるのだと、そういうように受け止めている。
そこには、当然ながら能力主義が前提にある。では個の力がない人どうすればいいのか。それは身につける他ないのだ。もはや終身雇用も年功序列も失われたと叫ばれて久しい。大企業でリストラのニュースも度々目にする。組織に守られていた時代はもう終わったのだ、というと何やら上から物を言っているようで居心地が悪い。しかし、「働く」ということが、意味にせよ形態にせよ、どんどん変わってきているのは事実だろう。(このあたりは義務教育に取り入れても良いんじゃないだろうか。)
そうした変化をなんとなく感じつつ、個の力を思った時に、何を隠そう、僕自身も個の力が無いと思っているので、危機感を感じている。じゃあ自分にとって何が必要なのかを考えた時に、「自分が本当にやりたいことが分からない」という落胆を感じていたのだが、being型の人にとってそもそも考え方が正しくない、ということをこの本で読めて、良かった。安心をしたわけではないけど。
とはいえ、僕にはまだやることが沢山あるんだよなー。
一つ蛇足的に補足しておきたいのは、「自分の好きなことをやって生きていこう!」という本は巷に溢れているけど(この本はその色はあまり出してないけど)、ただ同時に、"嫌だけど誰かがやらなければいけない仕事"というのも一方で存在するとは思う。この話の路線は社会論になっていきそうなのでやめておくけど。
キレる!
"どうすれば、相手の怒りや感情的な行動に振り回されることなく、上手に自分の怒りの気持ちを発散させるような切り返し方ができるのでしょうか。これらにはテクニックと経験が必要です。"
キレる!: 脳科学から見た「メカニズム」「対処法」「活用術」 (小学館新書)
- 作者: 中野信子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2019/05/31
- メディア: 新書
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さっと読める本書。
タイトルだけで判断すると、上手にキレてコミュニケーションを円滑にしましょう、というところかな、と思えるもので、結果まぁ外れてはいかなかった。
言った者勝ち!キレて得をしよう!という本があったらそれはそれで面白そうだが、まあ目指したくはない態度だ。世の中、難癖をつけて利益を得ようとする澱んだ人間が多い。昔は恥の文化が色濃く残っていて、ちょっとしたことでギャーギャー騒ぐことは恥ずかしい、とされていたが、今の御時世では、損得勘定が優先され、何も言わないのは損である、あるいは文句を言えば我欲が通る、そんな考えから世の中は攻撃が増え社会がギスギスしている。これは僕の観念でありデータはないが、そういう印象は多いんじゃなかろうか。
社会がギスギスすれば、人の心は余裕がなくなる。余裕がなくなれば、他人への配慮も低下する。それが時にハラスメントであったり、不当な要求であったりする。そうして社会のギスギス度は増していくというスパイラルがあるが、そうした行動は当人のホルモン分泌も関わっていたりする。
本書では、"キレる"をキーワードに、怒りやイライラなど、ストレス反応的な行動を取る人や、あるいはうまく自分の気持を表せないことで悩む人などを念頭に、複数のケースをホルモン面から説明を試みている。
その人の人格などを念頭に置くのではなく、生理現象や心理現象としてそれら行動を理解し、認識しようとする。
例えば、あれ、これ俺が該当するかも?という一説がある。
セロトニントランスポーターの濃度が低い人は、決して普段から攻撃的な人ではなく、逆に真面目で人を信頼しやすいということもわかりました。(中略) 不安になりやすいが普段は真面目でおとなしく、人を信頼しやすいが、相手がずるをしている、自分に不当なことをしていると感じると、自分の時間やお金などコストをかけても、相手を懲らしめたい、報復したいと思ってしまう傾向がある。
セロトニンという神経伝達物質があり、これが多ければ不安を感じにくいというホルモンなのだが、これを再利用するタンパク質がセロトニントランスポーターであり、このトランスポーターの濃度が低いというこは、再利用されるセロトニンが少ない=脳内のセロトニンが少ない=不安を感じやすい、ということだ。
僕は不安を感じやすい性質だと思う時は多く、また自分が軽んじられたり不当に扱われると怒りを感じる。報復したい!というほど強い感情は生まれないにしても、そうした行動をとる相手には反発を覚えることがあるので、これってセロトニントランスポーターが少ないってことなのかなぁ、と。
ただ、これまた同じ中野氏の言葉だが、日本人はおおよそそうらしい。
セロトニン・トランスポーターの数は遺伝的に決まっているのですが、この数が少ない人の割合が日本人は約97%と、世界的にみても非常に高い。つまり、世界で一番不安になりやすい民族なのです。
引用元:https://money-campus.net/archives/6593
じゃあセロトニンを増やすことが対策になる。どうすればいいか?ってのはぐぐると色々でてくるので、詳しくはそちらを参照されたし。
話を戻そう。
ホルモン作用について述べたあと、じゃあキレる人たち相手にどう対峙するか、という話が展開されるのだが、要は以下である。
- アサーティブな会話
- やばそうなら逃げろ
アサーティブな会話というのは、自分も相手も大事に扱うコミュニケーションのことで、自分の気持を正直に、その場で相応しい表現で伝えることだ。自分を大切にしなければ、どんどん都合の良い人になってしまうし、自分が疲弊していくだけだ。どうしたら上手に自分の考えだったり主張だったり気持ちだったり、そうしたものを相手に伝えられるか。(もちろん、自分一方通行ではなく、相手の話も聞く必要がある。)
まあそれができたら苦労しないよ、というところだが、それができるようになるために、練習しよう、というのが主旨なわけだ。どう練習するか、それは自分の周りにいる人で上手な人の真似をしよう!、あるいはおすすめの番組or漫画紹介するのでそこから伝え方を学ぼう!という話だった。
このあたりはアサーティブという手法の話になるので、本書で具体的に取り上げるにはページ数がないので、あくまで"気づき"を与えるポジションなんだなぁ、と勝手に理解した。
昨今、脳科学にまつわる本が多く出版されていて、本書もその一つではあるが、身の回りにいそうな、ありそうなケースを取り上げ、ホルモン作用や心理現象の説明と、自分を大切にするための"気づき"を挙げている点で、日々疲れる日々を生きる人々にとって、平易に読める良い入門書、という本だと思った。
アサーティブ・コミュニケーション、できるようになりたいよね〜。
読みたいことを、書けばいい。
タイトル買いしてしまった本作。
目の前
もうこの先は閉ざされた。
強く言えば、死が迫っている。
やらなければいけない仕事は、組織としての仕事だ。
その先は行き止まり。
個人として必要なことは、その先にあるのかもしれないし、別のことなのかもしれない。
建前はわかった。
自分が主体的に動きたいのは、どこか。
それが問題だ。
目の前のチョイスの積み重ねが今の僕を作っている。
これまでも、そしてこれからも。
これは結構重いお話だ。
一方で、こうも思いたい。完璧主義に陥らないように。
常にベストのチョイスができるとは限らない。
でもより良く思える方へ、進んでいきたい。たまに道草するけど。
これはトーンダウンだろうか。
さあ、どうだろう。