やりたいことと物欲の関係
明けましておめでとうございます。
2018年戌年の始まりです。みなさまはどのような正月を送られているでしょうか。
僕はというと、晦日の頃から今日に至るまで、何か取り憑かれたようにネット上の情報を集めています。
何の情報かというと、やりたい事ができるハードウェア環境、ですね。
一体何を言っているのか、というのを順に追って説明しましょう。
正月早々、単なる煩悩まみれの記事なのであしからず!
そう思った背景:そろそろPC環境を刷新したい
まず、誰しもが思うかもしれませんが、新しい年は何がしたい、というような希望的思考が湧いてくるじゃないですか。
僕はもともと映像制作が好きで、いや映像といっても映画のようにかっこよく作品作りというのではないのですけど、古くは3DCGをShadeというツールを使って、まだMacが今ほど有名ではなかった頃に、モデリングをしてレンダリングして画面内で動かす、ということが好きでした。
今ではもう3DCGをやることはないのだけど、一眼レフの動画で動画を編集してテキストやエフェクトをかけて、ちょっとしたムービーを作る、っていうのが一事ライフワークのようになっていて、友人たちと旅行に行っては動画を作って、バラエティ番組のようにテロップまでつけて、あるいは水曜どうでしょう風の作風に仕上げたり、はたまた結婚式での生い立ち動画など、主には身内で楽しむように動画編集と付き合っていました。
僕の使っている環境はもう10年近く前のiMacで、Final Cut Expressを使って編集しているのだけど、何せ CPUはceleron ,メモリは増設しても4GB と非常に非力で、動画編集自体とても時間のかかる作業であるのに、それに輪をかけて時間がかかる作業になります。より良い環境を知らないので、そんなものか、と思う程度に幸せではあったのだけれど、最近妻が新しいノートパソコンを購入し、その過程で仕入れた最近のPC動向が、この幸せワールドを崩壊させたのです。
つまり、そろそろPC環境を刷新してサクサクになりたい!という欲望が入り口にありました。
何をしたいか:やっぱり動画をやりたい。もっと快適にかつナイスに。
単純にPC環境を刷新したいというのもありますが、それだけではあまり価値がない。というのも、前述のように動画編集自体とても時間を要するもので、そうした時間も情熱も失いつつあった最近なので、動画編集しないことと、Appleのサポート外環境(これもいろいろ不都合多い)さえ目をつむれば、特に大きな価値は生まれない。いや、実際iPhoneのiOSのバージョンとリンクできなくなったので実害はあったのではあるけれど、それでもMacBook Airに頼るなどして、まだ我慢はできていた。
ここで、人間の脳というのは幻想を生み出すもので、"新しいPCがあれば、動画編集が最新のトレンドを取り入れてより快適になる"、という誘惑と戦うことになるのです。
更に重要なのは、"ナイス"に。
現在の時代遅れの環境だとエフェクトいろいろかけると出力にかなりの時間がかかるので現実的ではなかったのだけど、最新の環境であればあんなことやこんなこともできるようになる、よって出力動画は今と比較して"ナイス"になる。いやー、誘惑されます。
一方、単純に僕のアイデンティティの中に映像製作、というのはある程度組み込まれていて、一方で昨今趣味を謳歌できているか、と問われるとクエッションである虚しさを感じていることもあり、やっぱり映像作りたいよね!ってのは欲望として消えてない、というか欲しているのかなぁと思うので、動画作りする環境が欲しいと思う次第なのです。
現実的な選択肢は何か:(今の心の傾きは)iMac、ミラーレス一眼
上2つは割りと早い段階で出ていたのですけど、そこからの道のりが険しい。というかここの情報収集が、冒頭の時間の使い方、という訳でもあるのですけれども。
錆びついた僕の知識は綺麗に忘れて、最近の動向を調べていると情報量に圧倒される。
まずMacにするかWindowsにするか、そもそも動画編集のソフトは何にするか、このあたりでだいぶ時間を使った。
そのあたり調べている内に、カラーグレーディングについて興味が湧いて、Blackmagic Pocket Cinema Cameraとかいう面白そうなカメラを知り、手持ちの一眼レフももう長いので、そろそろ4Kも対応していてカラグレできるカメラも一緒に欲しいなぁ、動画撮影するのに手ぶれ吸収するジンバル欲しいなぁとか、欲が止まらなくなって。
頭のなかでハード・ソフト、メリット・デメリット、それらの色んなパターンを検討しながら情報を集めて肚に落とし込んでいく作業が、この年末年始の時間にぶち当たってしまった、ということ。
一気にグレードアップになるので、果たして本当に僕に必要なスペック/選択なのか、とか色々考えたりもするけど、ざっと組み合わせても良いお値段するんですよね、当たり前ですけど。
じゃあそれをパーっと買うか!という懐事情もないわけで、完全に、取らぬ狸の皮算用状態。。
ただ、いまいまの感じだと、iMacとミラーレス一眼+ジンバル、という組み合わせが僕にとっては良さそうかなぁ。
しかし、やりたい気持ちが先にあって計画しているのか、あるいはまず物欲があって、その新しいモノからできるコト、にやりたい気持ちが乗ったのか、という問が生まれる。
今回の場合、調べていったらやりたいイメージがムクムク強くなっていき、元々の気持ちにどんどん補強されていった形だけど、それは買い物ハイのような、ドーパミンが出ている一時的な刺激に過ぎなかったりしないのだろうか、という怖さはある。
だからこそ大きな買い物の前は、一度距離を置いて冷静になって考えてみる、それは本当にいるものなのか?と問いかけてみる、などの生活の智慧があったりするわけだけど、自己実現のために必要な投資、という言葉にすり替えると、脳は簡単に騙されてしまったりする。
例えば、ついに買ったはいいが、購入前はやると思っていたことが、実はそんなにやらなかったり、というパターンもあったりする。これは物欲が満たされて満足してしまったケースだ。
願望と物欲というのは、とても強力な組み合わせであるとともに、良くも悪くも時として理性の力を弱める危険な組み合わせでもあるのだろう。
これってとっても子供チックなことだと思うけど、その純粋性ゆえに大人でも誘惑される組み合わせだよね。
新年から、やりたい事とできる事を考えつつも、己の欲と現実とに向き合う僕なのでした。
来て知る
ネットだけでは分からない、聞いてる話だけでは分からない、自分で見てみないと分からない、ということは大いにある。
トランプがエルサレムを首都として承認したことで話題のイスラエルという国もその一つだ。
遠い世界の話のようにニュースは流れていき、パレスチナとかガザ地区というのは昔ニュースでよく目にしたし夜に空爆されている映像も目にした記憶がある。
そういうのもあって、危険な地域、危険な国だというのが認識に先に立つし、いつも争いの種が尽きない印象であった。
実際に争いの種は尽きなくその種はエルサレムであるのだけど、エルサレムがどういった歴史的経緯や象徴であるかもよく理解していなかったし、実際複雑である。
でも、ひょんなことからイスラエルの商都テルアビブに行くことがあり、現地の様子を少しだけ伺い知ることができた。
テルアビブという都市がイスラエルの中で最も発達した経済の場所なので、特異性を持っている感はあるのだが、夜中歩いていても全く安全だし、生活に困ることはないし、食事のクオリティは高いし、宗教性は低い地域だ。
移民の国で色んな人がいるし、何より美人が多い。金髪白人からオリエンタル系までスタイル含めて見飽きるほどの色んな美人さんが街を歩いる。
何この天国。
ほんと、来て自分の目でみてみないと分からないことだらけだ。(なんの話だったっけ?)
動機と同期
これって埋もれないもんだなぁって思う。
僕らが、これがいい!とか、これが懐メロ!とか、とうしいうものが時代感があるように、君らが思う同じ感覚というのは、同じモノではないし同じものであってはいけないし。
だから、〇〇を埋めろっていうことは、いまの時流を知っていなければ埋められない。
そして、書いたようで書いていないここからの本文が全て消えたことに対して、デジタルに対応して人は諦めが早くなったことを感じ、それに対して反抗してほしいいという勝手な願望。
ほんとどうでもいい更新なのかもしれないけれど、そんなことは無いはず。
消えたことはホントであっで、消えたという事象はどうだっていい。
もうだめだ、この記事つまらないわ。
自己完結オツ以上のことはない。
音楽聞いていたら本人ハッピー、現実クズ、なるほどアルアルなんですね。
一部に限ります。
なんでもないこと
日常はつまらない。
日々時間は過ぎていく。暇であっても忙しくあっても、時間が変わらず過ぎていく。
そのことに慣れていると心もつまらなくなりがち。
抑揚が無く感情の起伏も小さくなりがちで、妙に空しくなる。
小さな不満を溜め込むのは毒だ。
誰もが意識的に溜め込むことは良しとしないけれど、日常は幸せで満ちているなんてことはそうそうないのだから、多かれ少なかれ不満は日々募っていくのだ。
でも、ちょっとしたことで日々のそうした曇り空は、一時的にもクリアになる。そう、ほんの一時的ではあるけれど。
アプローチは様々だ。
僕自身、最近は灰色な日々を送っていたけれど、ふと音楽を聴くと気持ちが軽くなる。
ウィスキーを口にすれば、心が軽やかになる。
小さな気分転換でしかない。
でもこの小さな気分転換が、どんなに大きなことかは、本人にしか分からないだろう。
それでいいのだ。
しかし、僕の音楽inputの無頓着は隔世の感があるかもしれない。
もうちょっとシーンを気にしないと、ガラパゴスの世界になってしまう。なーんて思ったりする。
牛乳石鹸
今話題のやつ、見てみた。
さてこれをどう見るか。
- バスを使った電車通勤、少し郊外のマンションか。
- 妻は朝にジャケットらしきものを羽織っている、共働きか。
- 会社ではちょっと頼れる?先輩の立場、資料のレビューをする
- 昼休みにプレゼントを買いに行くマメさ。
- 上司にミスを怒られている後輩を見て、夜に慰めるため呑みに誘う。
- 父親はガテン系?キャッチボールする時間はなく1人壁へボールを投げていた。
- 呑みに行く前に、ケーキは買ってある。無料で2時間のドライアイスの線を考えると、1時間程度呑んで、1時間程度の通勤時間か。
- このあたりから考えると、おそらく帰宅が20時あるいは21時だろうか。食卓は飾られたまま、妻もすっかり着替えてしまった様子はないし、子供はまだ元気に起きている。
このあたりから推測できるのは、若干イラッとした気持ちから出てきた、ちょっとした反抗心、だろう。
主人公が呟く「家族想いの優しいパパ」と「あの頃の親父」というキーワード。
ステレオタイプ的に言えば、前者は妻の頼みをよく聞く、物分りの良い旦那であり、後者は亭主関白、にあたるのではないだろうか。つまり、発言の軸が妻にあるのか、夫にあるのか。
そんな今と昔を比べて、腹立たしさを覚えたのではないだろうか。
最初は妻に対して、そのうち自分に対して。
いつからこんな、反発することもなく妻の言うことをただ受け入れてしまうような「優しいパパ」になったのか。そして妻からのお叱りの言葉。
「ちょっと風呂入ってくる」
風呂につかりながらこう思う。
"親父が与えてくれたもの、俺は与えてあげられているのかな"
牛乳石鹸でほぐれた気持ち。
そして息子の誕生日会は始まる。
これはむしろ、父親はこうした気持ちを持っているんだぜ、という母親へのメッセージなのかもしれない。
ちょっとは俺の気持ちにも気づいてよ、牛乳石鹸のように、お互いのイライラはさっと洗い流しちゃおうよ、って。
違う客観視をすると。
男性側の言い分は分かる。ゴミ捨てするのは当たり前、思いつきのように用事を頼み、断るすきを与えない、いや当たり前にやってもらえるもの、という頼み方。
都合よく使われている感に男性は自尊心を傷つけられるし、そもそも誕生日当日になぜこうなった、という話もある。
女性側の立場としては、共働きだとして、料理は作るし他の家事だってしているのだから、それくらいやってくれていいでしょう、という意見だろうか。それも分かる。
このギャップを埋めるのは、日々お互い会話をすることだし、家事へのイライラをためないような素の話を少しでもできるか、できているか、だろう。
我が家は比較的に精神年齢が低いので、イライラをそんなに持ち越すことなく楽しくやっている、って言えるところがあるから、まだ幸せなのかも、って思う。
色んな物議が巻き起こっているけど、分断を深めるだけのネタにするのではなく、お互い話せるネタになると良いよね。
読書
仕事に追われているせいか、あまり心のゆとりをもてていないような気がする。
いや、時間が余っていても、ただそれを浪費しているような心持ちだ。
特にAmazonプライムには多くの時間を奪われている。
我が家はApple TVを使ってコンテンツをミラーリングによる視聴ができるから、非常に気軽に作品を見ることができる。
映画やドラマ、そしてアニメ。
TVなんて時間泥棒であると言い、一時は壊れてまともに見れないTVをこれ見よがしにそのままにしてテレビを見ない生活を過ごしていた。
しかし現在、Amazonプライムというトータルサービスの一部に、非情なまでの時間奪取を受けている。
実際に、魅力的なアニメの用意が複数あることでついつい見てしまうのだ。
その影響によって、読書から少し遠ざかってしまっている。
読書に対する集中力も衰えていると感じているので、黄色信号だ。
それではいけない、と思い、最近白石一文作品を再び手に取り、読み始めている。
その前に読んだものとして、書店の一段を独占していたつい手に取った昔のミステリー作品があったが、話のトリックは興のある構成であったが、なんだか物足りなかった。
そのギャップだからから、白石氏の作品には安心感を覚える。
やはり僕の趣味にあう小説というのは、内面の描写や、登場人物を通して作家自身が認識する言葉の取り扱いを丁寧に書いているものだと思えるし、読書というのはそうした作家の描く世界の中をいかに楽しめるか、あるいはその考えとどう対峙するか、というある種双方向的な時間なんじゃないかなぁ、と思う。
ちょっと言葉足らずだけど、そんな話はまた今度。
しかしちょっと油断するとブログサボりがちになってしまう。
僕は書くのが遅いほうだから、一記事にかかるコストも違うんだろうなぁ。
VRの本
『VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む (NHK出版新書)』
VRビジネスの衝撃 「仮想世界」が巨大マネーを生む (NHK出版新書)
- 作者: 新清士
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2016/05/07
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (4件) を見る
著・新 清士
筆者はVRがもたらす没入感を体験してからすっかり虜になったようで、その強烈な体験から、VRビジネスが持つ将来性に信頼を置いている。
技術は主に以下3種類に分かれ、本書ではVRを主としてヘッドディスプレイの進歩を語っている。ARはスマホアプリでも知っている人がいると思うが、カメラを通した映像に情報を付加表示するものだ。これに対して、MRというのは目に見ている現実の風景に、まるでそこにいる/あるかのような存在感のある物体を映す技術であり、視覚上は現実と虚構の区別がつかなくなるのだ。
AR(Augmented Reality : 拡張現実)
VR(Virtual Reality : バーチャルリアリティ)
MR(Mixed Reality : 複合現実)
キックスターターと呼ばれる著名なクラウドファンディングのサイトから資金集めから始まり、その後Facebookに買収されたオキュラス社とその創業者パルマーラッキー氏(現在はFacebookを退社)のストーリーを扱いながら、欧米におけるPCゲームコミュニティでの意見交換やゲームエンジンの働きが、VR誕生には欠かせない要因であることも紹介されている。
本書の中で触れられている、日本と欧米のコンテンツ作りの発想が違う点が面白い。
そもそも言葉の定義に違いがあるらしい。
バーチャル=仮想という日本語訳は日本IBMのSEさんが発案したものでその後定着したのだが、ここに含意される意味合いが日本と欧米で違うというのだ。
日本で仮想といえば、虚構上にある、現実とは”別”の何かを意味することになる。
一方、欧米におけるバーチャルという言葉に含意されるものは、現実世界に存在する対象と”同等の意味を持つ"なにがしかなのだ。
つまり、日本的な仮想とは、現実とは切り離された観念の世界であるのに対して、欧米におけるバーチャルとは、あくまで現実の世界の延長にあるものとして対象を想起している、というのだ。
"「ミクミク握手」や『サマーレッスン』など、仮想のキャラクターとのコミュニケーションを楽しみ、本来は実在するはずのない世界を、あたかも現実だと認識するような実在感を持って体験させるところに、日本のVRコンテンツの特性があるのかもしれません。(中略) 実体のない仮想としてのバーチャルを実現しようという情熱は、日本人のバーチャルに対する考え方から生まれているのかもしれません。”
今日、日本では簡単なVR体験というのは自宅でできる時代でもある。
プレイステーション4の例を出さずとも、例えば、スマホでVRアプリは無料でダウンロードできるし、ヘッドギアも安価なものであれば1000円程度で入手可能だ。
アプリでは四辺が歪んだ映像が左右同時に映し出されるのだが、ヘッドギアを装着すると目の前にはまるで自分がそこにいるかのような映像が映し出され、頭を左右に回せばそれに伴って見ている視野も移動する。
没入感という意味では決して高くないものの、VRとはこういうことか、という体験が手軽にできる周辺ツールはすでに用意されていることが分かるし、実際に僕も安いヘッドギアを買って試してみた。
試してみたコンテンツは、二次元キャラが耳かきをしてくれるというソフトで、とても日本的な発想で面白いし、初のVR体験でかなり新鮮だった。うまく頭を膝にのせるのが難しかったけど。。
もう一つ試したのは、フジテレビが提供する、VRアイドル水泳大会 騎馬戦というこれまた邪なものでかつとっても日本的なコンテンツ。実際のビデオ映像が360度できるというもので、カメラを中心に水着の美女たちがゆっさゆさ、もといバッシバシと騎馬戦バトルを繰り広げるコンテンツ。
なるほど、リコーが360度カメラをリリースしているけど、こうやって使えば新しい映像コンテンツが作れるのだなぁと感心した。
ハードウェアの進歩と需要が高くなればなるほど、価格が安くても質の高いVR体験が自宅でできるようになるかもしれない。
そこで重要なのはコンテンツなのだけど(本書もそのあたりチラッと展望を書いている)、まだまだゴミあさりに近い、というブログも見られるので、これからの発展に期待、というところだろう。
新しい技術が活気づき新しい体験ができるようになるのは、面白いよね。
益々盛り上がって欲しいと思いつつ、酔うし眼が痛くなるとも思うので人体への影響に関する研究も進んで欲しいところだ、と思ったりする。