過ぎ行く日々を少しでも。

日々の色々を記録していくトコロ。

読後の憂鬱 / 命の器

昨日から夜になると憂鬱な気分に襲われる。

なぜだろうか。

宮本輝氏の小説を最近読んでいて、その流れでエッセイ集である「命の器」を読み終わったのが昨日で、もしかしてそれがきっかけなのかもしれない。

なぜきっかけになるかというと、ちょっと言葉で的確に言い当てられないのだけど、自分と向き合う、ということにスポットライトが当たっているからだと思う。

明確に自分を向き合う、という作業をしているわけではないのだけど、読後はぼうっと内省することが、少し増えた。

そうすると何が起こるかというと、不安な気持ちが湧いてくるのだ。

この不安なるものはどういう種類のものなんだろう。

それもまだ分かってはいないが、昔に似た経験はあるので、やはりこれは不安なのだよなぁとひとりごちするのだ。

しばらく横になってその気分のままぷかぷかしていると、少しづつ沈んでしまう。

精神が弱り、時間だけがただ過ぎていく。

シャワーを浴びると、少し気分転換になる。

そしていま、気分転換がてら、ブログに少し書き綴っている。そうすると、少し心が軽くなるのだ。

物書きをするということは、自分と向き合うことだったり、不安との戦いであったり、はたまた書くというアウトプットの行為を通じて癒やしを得る、というものなのかもしれない。

氏が命の器の中で書いていた、持病と隣合わせにあった苦しい日々のことを思うと、少しそうしたことを思うのだ。

 

 

命の器 (講談社文庫)

命の器 (講談社文庫)

 

 

 

 

 

ブルーなホワイトデー

今日はホワイトデーだ。

会社の職場でホワイトデーのお返し選定のため、某チョコ屋で品物を見ていて、これかな、というものを予めあたりをつけていた。

その時に妻もいて、彼女は彼女で、「私にはこれがいい」というのを冗談を交えた会話の中で言っていた。

そうして後日会社の人たちに選んだチョコは、本日当人たちに手渡っていき、一方で妻へは、「これがいい」と言っていた、会社の人達に選んだホワイトデー限定品のラインナップとは異なる、価格帯的には上のグレードのものを選んだのだ。

昔ホワイトデーでチョコを贈ったときに、トリュフのものが良いと言われたのを覚えていて、トリュフ入りを選んだのだ。

その結果。

「これがいい」と言ったものではないことで、かなり落ち込んだ。

望んだものではないことで、涙目にすらなったのだ。

彼女としては不要なサプライズであり、これがいいと言ったにもかかわらず、その意志は僕には伝わっていないという、一種の意思伝達が叶わなかった悲しみを抱いたのかもしれない。

一方僕としては単純に喜んでくれるものと思っていたものの違う結果に対する落胆と、日々の家事への手伝いや、各種の配慮、あるいは誕生日にちょっと奮発したプレゼントなど、それらは全て充分とはいわないながら、日々の積み重ねというものを信じていたのだ。でも、この日の涙で、たったこの一度の出来事で、そうしたものは軽く吹き飛んでしまうのだろうか、という疑問が湧いて出た。

確かに望みのチョコを贈ることはできなかったのかもしれない。

これは僕のワガママなのかもしれないが、サプライズが少し好きな性質があることは相手も承知しており、これが良いかな、と贈ったこの気持も少し考慮してくれれば、涙目にはならないのではないだろうか。

あの反応はまるで、自分の期待とそれが裏切られたショックで閉じられた、どこまでも自分だけのもののように思え、そこに僕に対する配慮というのは垣間見れなかったのだ。

それは残酷なまでに純粋な反応だった。

もちろん、そのあとに弱々しくありがとう、という言葉はあった。

だけれども、二人ともブルーになるこの結果は、一体誰が予想できただろう。

それほどまでに楽しみにしていたということか。

 

僕がもっと大人で、もっと温かい心で見つめてあげれば良いのだろうけど、今はただただ悲しい感情だけが宙に浮いている。

 

後日談:

妻の涙は、僕の悲しみを感じてのことだったらしい。

それでも望むものではなかったことではないことは確かだ。

だから僕は改めて買ったんだよ。彼女が欲しかったものを。

なぜかって?

彼女がそう思ったことは確かで、だからこそ悪い思い出のまま終わらせたくはないからだ。

それが僕の選択、ってことだね。

 

メモ

ただの駄文です。予めご容赦を。

 

寒い季節というのは思考が内向きになりやすいようで、それによってネガティブに陥りやすくもなる。

妻は寒いのは苦手で、特にこの時期はイライラしやすくなることも多い。

昔、結構危機的な場面に直面したのもこの時期だったし、それを振り返れば、今は平和とも言える。

それでもこの時期はイライラのせいで、攻撃的なセリフを口にすることもあるし、言葉使いもまるでギャルかのような品の欠ける口調になったりもする。

それも感情的になっているからであって、いわば下地がそこに見えるわけだ。

その事で悲しく感じることはあるけれど、それで全てが台無しになるようなことでもない。

むしろ、そのやり取りの中で発見したことがある。

俺っていう男は最近つまらん男になってやしないか、ということだ。

結婚をして自分で使えるお金に制限ができたことで、行動範囲が狭くなった、という事実はあるものの、そもそも僕自身内向きになったというか、あまり外で行動をすることが少なくなった。

夫婦の時間というのは確かに大事だが、何かそれだけでコップの中を満たしているというか、大部分の時間はそこに費やされている。

ともすれば、自分のやりたい事に時間もお金もかけられていない、ということだ。

しかし、だ。

自分のやりたい事って何だ?

昔は興味のあることはそれなりに手を出した。手を出すということはお金も必要なのだけど、いま自由になるお金はない。

それが心理的蓋となり、何もできなくさせている向きはあるのかもしれないが、じゃあもしそれを取っ払ったら何をやりたいか?

あ、でもあるな。スキューバダイビング。

でもこれはコストが高いのだ。リストから除外。

自転車かな。でも改造してまでやるほど、のめり込むきっかけというか仲間もいない。

では作ればいいじゃないか、という案もある。

話は変わるが、長期的に見てやらなければいけないこと、やっておいた方が良いことがある。

・英語

・運動

・人との交流(新しい友だちを作る)

主にこの3点。

英語と運動は持続的にコツコツやらなければいけないこと。

なのに何かと億劫がってできていない。それによって苦しむのに。

やらないですめばこしたことはない、そいういう自堕落な精神が、転じて僕自身を裏切り続けており、それが僕の中で大きなダメージとして蓄積されているのだ。

なんて情けない男だろう。

人との交流というのは、結局のところ世の中は人と人との繋がりの上で出来ているのであって、もっと積極的に人と関われるようになりたいと思うからだ。

最近、結構僕は人嫌いなのかなぁと思う。嫌いというより、面倒くさがりだ。

必要以上に人と関わろうとはしないし、他人の面倒に巻き込まれたくない、という考えが先に働いてしまう。これが内向きにさせる。

一方で、もっと前向きに人と関わりたいとも思う。特にコミュニケーション能力の面でだ。

僕は話をするより話を聞くほうが楽で好きなのだが、話さないでいると話下手が下手なままなわけで、いざ話すとなると話下手が話すのでつまらないものになる、と思うのだ。僕の場合はね。

その日あるいは最近あった出来事や、読んだ本の話、時事問題などなど、話すというアウトプットをしないと、なんとなくインプットされ、なんとなく忘れていく。

話すことでその情報が強化される面を考えれば、話すという刺激を多く持ったほうが良いなぁと思う。

妻に話を聞いてもらおうと思うのだが、あまりそういう趣旨の話は聞いてもらえないのが悲しいところ。いや、まだチャレンジしていないか。

 

 

 

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路

最近、「老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路」という目を引くタイトルの新書を読んだので雑感を。

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

老いる家 崩れる街 住宅過剰社会の末路 (講談社現代新書)

 

 

都市計画という観点から眺めた時に見えてくる、現在の日本社会が抱える問題点を分かりやすくまとめてくれている良書。

どのような現状があるのか、そしてどのような問題点が語られているのか、というところを、少しまとめてみた。

 

現状の認識

目下人口減少の道を歩む日本は、不思議な事に住宅過剰社会なのである。

通勤電車の窓越しに、あるいは街を散歩中、あるいは車で他の街に出かけた時など、新築住宅が建設中である場面を見ることはよくあることだと思う。
しかし人口が減っているのになぜそんなにもポコポコと建てられるのか、不思議に思ったことは無いだろうか。
そこで、総務省統計局のホームページを覗くと、どのような現状かを確認することができる。
(以下の図はいずれも当該HPから引用)
 
2013年時点において日本の世帯数は約5245万世帯であり、それに対して住宅数は6063万戸ある。下図の通り住宅過剰の状態が常態化しており、そのギャップは年々増すばかりだ。

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空き家数の推移も下図ご覧の通り右肩上がりである。
その他というのは、賃貸用、売却用以外の人が住んでいない住宅で、転勤・入院などのため居住世帯が長期にわたって不在の住宅や建て替えなどのために取り壊すことになっている住宅などにあたるのだが、取り壊されずに空き家のまま放置されている物件が多くあり、治安面や災害面でも問題になっている。

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なぜ建て続けられるのか。それは、売れるから建てるのである。
供給側である住宅・建設業界が特に分譲タイプの戸建てやマンションを大量に建て続けている理由は、土地取得費や建築費といった初期費用が短期間で回収できるため事業性を確保しやすく、引き渡し後の維持管理の責任も購入者に移るため事業リスクが低い。
購入側は住宅は資産と考え、また住宅ローンは減税や優遇措置も得られることが多いので賃貸より有利であると考えられるからだ。中古住宅という選択肢もあるが、まだま市場が未成熟であり新築住宅が中心である。
したがって、売れるから建てるというサイクルはなかなか止まらない。
 
では、建て続けられていることが、何がそんなに問題なのか。
一体、どのような問題があるか。
 
 
どのような問題があるか
 
居住地としての基盤が未熟な地域にも焼畑的に建設し続けることで、多額の税金が投入されざるを得なくなる、その無計画性、あるいはコントロール不能状態が挙げられる。
本書ではいくつかの自治体での実例を上げているが、ここでは大雑把に以下2つのエリアで、どのような問題があるか本書から紹介する。
 
- 東京都市部における問題
- 郊外地域における問題
 
 
都市部においては、タワーマンション乱立に伴う人口の急増、それによる社会インフラのコスト増という問題がある。加えて、タワーマンション内での合意形成が困難であることが管理不全に陥る危険も指摘されている。
例として湾岸地域におけるタワーマンションの問題がある。
現在、中央区江東区の湾岸エリアでは、2014年末で8.6万人の常住人口がいるが、将来東京五輪後にはこれに加えて約10万人もの増加が見込まれている。こうした人口の過密化で何が起こるかというと、例えば生活関連施設の不足が問題となり、保育園・幼稚園あるいは小学校などの不足、地下鉄のホーム過密などなど、社会インフラの問題が深刻化しており、実際に後追いで公共投資が必要になり、多くの税金が必要となるのだ。
それだけではなく、マンション内での合意形成というのは通常難しいものであり、それがタワーマンションともなると色んな人が存在するわけで、もっといえば投資目的に購入しそこに住んでいない人だっている。合意形成が難航すれば、マンションを健全に運営することもままならず、資産価値としても低下する恐れがあるのだ。
居住者が増えれば税収も増えるだろう、という見方についても本書は否定する。
東京は地方都市に比べて高齢者の数が圧倒的に多くなる傾向にあり、今後老人ホームの増設や医療・介護サービス等の社会保障関連のコストが莫大になることで、他の都市よりも相対的に貧しくなる危険性を指摘している。
 
ところで、なぜタワーマンションが乱立しているか。
それは、国や自治体がそれを後押しするかのように、「再開発等促進区を定める地区計画」という、まとまった低・未利用地の土地利用を促進するため、都市計画規制を特別にかつ大幅に緩和していることが要因にある。一定の条件を満たし自治体の許可があれば、面倒な手続きを経ずに容積率等の緩和が得られるという制度があるのだ。
これはもともとバブル前から都市部の土地が高騰し続けてきたことで、住宅用として都内の土地取得があまり促進されず、また工場や倉庫もすでに未使用となったことで土地が未活用のままであったことで、土地を有効利用することを目的とした制度作成の流れがあった。
それが回り回って無計画的なマンション乱立をもたらし、地域に大きな変化を生じさせている。
もう一つ付け加えると、筆者自身も強く疑問に思っていることとして、自治体によっては規制緩和だけでなく、多額の補助金投入がされている場合があるという点がある。
無論すべての自治体ではないが、超高層マンションを伴う市街地再開発事業に投入された補助金の半分は、国の補助金=税金から出ているというのだ。
(全くもって意味がわからない。。)
 
 
郊外地域においては、市街地ではないエリアで、無計画に建てられた住居が今後空き家化、空き地化、放置化された土地がまだら状に点在することになり、人口密度が低下していくのである。
土地の安い市街地外で建物が無計画に乱立することで、市街地の人口も減り、全体として人口密度が低下するのだ。
そうなると、行政サービスが非効率化し、高コスト体質になる。
当然自治体も企業もコスト増となり維持管理できなくなるため、商業施設や公共公益施設の統廃合や公共交通網の縮小ということが今後起こってくるのだ。
こうした事態を起こしている要因として、規制緩和がされた市街地化調整区域に、デベロッパーが次々と建設を行っている点と、自治体側は、人口を増やしたい一心で人口増加主義に陥り、思考停止状態にすらある点とがある。
もちろん、将来を見据えて改善・努力をしている自治体も紹介されているが、全体としてこうした問題があるのだ。
特に郊外の場合空き家が増えれば治安が悪くなり、あるいは不審火による火災など、地域に大きなダメージを与えることにもなる。
当然、その地域では資産価値としても決して高いものではないだろう。
 
 
本書ではこうしたことを取り上げ、著者自身の経験や担当者レベルの話を紹介したりしていて、とても濃い内容で問題が語られている。
これまでの旧態依然とした増分主義に基づく様々な政策や思考が、いかに今現在の事態を招いているのか、その結果これから起こる、あるいはもうすでに起こっている問題を紹介し、いかに減分主義の視点で物事を最適化していくのか、ということをとてもプロフェッショナルに書かれているのだ。
 
言いっぱなしにならないように提言を添えているのが誠実であり、かつ、この問題と向き合っている各方面の方々へのメッセージにもなっている。
それはもちろん、これから住宅購入を考えている我々一人一人へのメッセージでもあるのだ。
 
自由な市場経済は健全ではあるが、行き過ぎると時として暴力的にすらなる。
資本主義の限界というのは今に言われ始めたわけではないが、こうした経済性だけはなく、そこで暮らしていく人々の営みを考え、持続可能で最適な運用ができるよう、思慮と計画性を持たなければいけないのではないか。
そのためには、民間と行政が一体となって、将来を見据えた現実的な解を探す必要がある。
日本では将来の明るい展望が共有できないまま閉塞感が漂っているともう何年言われ続けてきただろう。そうしているうちに、トランプ政権が誕生し、国際事情は不透明さを増すばかりだ。
中も外も常に不透明ではあるが、その中で確かなのは日本の人口が確実に減少するということだ。
それに対応するためには、様々な仕組みを変えていかなければならないはずだ。
そんな簡単なことは誰もが分かっているのだろう。
そしてそれがどんなに大変なことなのかも。
そうした中で、気づけばあっという間に地域崩壊に繋がりかねない危険が迫っているのであれば、知らなかったで済まされない事だ。
これは一人でも多くの人が知っていて良い問題だと思う。
 
興味が湧いた方は、是非一読してみては如何でしょう。

最近の読書

ドナルド・トランプが大統領に就任してから次々と大統領令に署名をしてはニュースになる。

27日にはテロ対策としてイスラム教7カ国からアメリカへの入国を禁止する(永住権を持つ人も対象になる)大統領令に署名し、大混乱が発生している。

NY連邦裁判所が一部を執行停止にしたと報じられているが、混乱は続いている。

大統領に就任すればもっと現実的な言動になると思いきや、トランプ節は変わらず続く様子である。

 

トランプの就任を待たずしても、国際情勢は常に動いており、歴史や国際政治などの教養が皆無な僕ではあるけれど、少しでも見る目を養わなければ、世の中からぽかんと置いてきぼりをくらうことになる。

まず手にしてみたのは佐藤優氏の以下の本。

地政学的な観点から主要国の戦略を読み解き鋭く考察している。

密度の濃い内容で僕にとっては難易度が高く、細かく頭に残らないので再読が必要だ。。

この中でアメリカについては海洋国家という視点を持ち、海洋国家ならではの、大陸とかかわりを持つか持たないかという選択肢があるといい、アメリカは孤立主義に回帰しこれまでの大陸との関わり方を見直し、内向きになっていくと読み解く。

エマニエルトッドの論を引用し、アメリカの民主主義は外部をもたないと成立しないことに触れている。なるほど、今まさにヒスパニック系の移民やイスラム教徒を”外部"として見出し、白人の貧困層に訴えかけているのがトランプなのだ。

新自由主義がもたらした経済格差の拡大、社会的流動性の低下、庶民の生活レベルの低下、そうしたことが土壌となり、アメリカ国民のマグマがトランプ大統領誕生の原動力になっている。

この流れはヨーロッパでも見られるのは周知の通りで、イギリスがEUを離脱したのも移民による問題であり、国民の感情が主たる理由だ。

フランスでも極右政党の支持が拡大されていたり、次にEUを脱退するのはイタリアか、とも言わる情勢であったりと、各地でナショナリズムの機運が高まっている。

 

…と少々脱線したが、本書ではドイツ、ロシア、中東、そして中国についてもそれぞれ触れており、参考書物と一緒に紹介されているので、本書でエッセンスを学び、参考図書に足を運べるようにもなっている。

 

各国の出来事が相互影響しながら物事が進んでいっていると思うのだが、やはりアメリカの影響力は大きく、その新しい大統領であるトランプ氏は過激な言動で注目を集めるのに事欠かない。

少しでもトランプ政権を知りたいと思い、興味本位で手に取ったのはこの本だ。

総力取材!  トランプ政権と日本 (NHK出版新書 509)

総力取材! トランプ政権と日本 (NHK出版新書 509)

 

僕は視聴していないのだが、すでにNHKで放送された特集があり、そこで描ききれなかった取材内容やその後の情勢を付け足して出された本書。

実際の取材、インタビューが掲載されていることで、どうしてトランプ氏が支持されたのかを、納得して読むことができた。

今まで政治的にもスポットライトがそこまで当たってこなかった、いわゆるブルーカラーの人たちが、雇用を失い翻弄されてきた姿や、学生たちが当時サンダース氏の言葉にどれだけ期待をしたか、あるいはメキシコの国境付近で何が起きているのかなど。

 

トランプ氏に近い周囲の人々や、著名人らのインタビューも多く掲載されている。

その中で、アメリカの政治学者であるイアン・ブレマー氏の言葉が印象に残る。

トランプは、アメリカの価値観を世界に広めることを望んでいません。世界とアメリカの関係を、その場の利益に基づくものにすることを望んでいます。(中略) 何であっても、得になればよいと考えているのです。トランプが熱心に取り除こうとしている事柄こそ、アメリカの世界的リーダーシップの中核となっていたものなのです。残念ながら、アメリカに代わってその役割を満たす国も、他の一連の価値観も存在しません。

 

今日の貿易を否定し、強引に二国間協定の手段を取ろうとすること。

よりアメリカ国内に投資し、アメリカ人の雇用を増やすこと。

シンプルではあるが、ではそれで国内の経済が豊かに循環するのか、というのは疑問だ。

世界は互いに繋がり相互作用しつつ歩んできた。移民の労働力があって今の生活が支えられている。

それを政治の力で強引に変えるのは、大きな反作用を生み、アメリカ経済に悪影響をきたすのではなかろうか。

二項対立で物事を見ているのだとしたら、それは危険なことであるはずなのに。

 

日本においては、アメリカとの貿易関係も、国防のあり方も、様々な点で見直しが迫られるのであろうし、国際社会における日本のプレゼンスというのも、変容していくのだろう。

もっとニュースに触れなければ。

 

年を明けて

気がつけば年を下旬へ突入。

1月から仕事面でもいくつかイベントがあり、ゆっくりしていられない状況が相変わらず続いている。

私生活面においてはいくつかの本を読み、新年にありがちな、よし今年こそはとライフスタイルを改めたいと思いつつ、やはりというか日常の惰性に抗うこともできず、いや身を任せ相も変わらず誘惑に影響されまくっている。

とは言いつつも、昨年は読書の頻度が下がり、また読んだとしてもブログにすることもなく忘れていくのだが、やはりアウトプットは大事である。

妻がひょんなことからアウトプットをするようになってから色々と調子が良いところを間近で見ていると、尻を叩かれる気持ちになり、僕も少なくともブログの更新をもうちょっと頻度を上げたいと思ったりする。

読んだ本のことは次の機会に譲るとして、最近映画を見たので少々。

 

あと1センチの恋 [DVD]

あと1センチの恋 [DVD]

 

 なんとなく気にはなっていたこのタイトル、あと1センチの恋。

幼馴染の男女が成長する過程で生じる微妙なすれ違いを描いた、題材としてはよくある話。

話半分で見ていた妻が要所要所で、「男女が時としてお互いの逃げ場になるの、不思議よね〜」とか、物語の顛末を見て「茶番だな」と切り捨てるお話出会った。

日本酒を煽りながら見ていたからなのか話の最後がどうだったのか思い出せない。

思い出せるのはリリーコリンズが可愛らしくハーマイオニーに似てるなぁ、演技も良いなぁ、というのと、赤髪のオバハンめっちゃいい人、ってところだ。

 

 

 

次。

 逃げ恥で一躍スターダム?な星野源

その原型のような主人公35歳童貞実家暮らしの男が、盲目の女の子に恋をする話。

コミカルでシニカルで時としてシリアスで結局はエロパワー。

シュールな空気感が最後まで貫かれていることで、賛否両論あるようだが、演者の味がそれぞれ見るものを楽しませてくれる。

僕としては星野源は逃げ恥でガッキーとイチャイチャしているし、本作で夏帆ともイチャイチャしいるし、とっても羨ましい限りだ。

しかしこういう役は彼の得意とするところなのか、機微が上手。

今後も楽しみだ。